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ぽんでらいおん

これを見てくれ。

BUMP OF CHICKEN
ダンデライオンのフラッシュ
ぽんでらいおん



はじめて見た時、心が無防備になりただただ泣いてました。

涙の理由を 知ってるか
俺にはわからないが

と歌詞にもあります。
私もうなづきたい気持ちに駆られるけど、自分の涙の理由を言葉にする、という無粋な行いを敢えてしてみます。

ダンデライオン(dandelion)とは英語で「タンポポ」の意です。そしてフラッシュでは、タンポポの他にライオン(lion)が出てきます。


涙の理由
ライオンが本当に死んでしまうので悲しい。
落雷が、ライオンが渡ろうとするつり橋を直撃し、ライオンは崖下に転落し命を落としてしまうのです。
可愛いイラストで描かれたライオンなのでなごやかな雰囲気をフラッシュは与えてくれる一方、ライオンの死という冷厳な現実がしっかりと刻み込まれており、グサりと心をえぐります。

なぜ死は悲しいのか。
このような考え方があります。
天寿を全うした人の死を、残された人はいったん悲嘆に暮れるも粛々とそれを受け止めることができています。私達には寿命がある。その意味ではいつも誰かが常に死んでいってるわけで、そのような死を受け止めることができなければ社会の存続は危ういでしょう。

しかし事故や他者の加害などで命を奪われることはどうか。その死はいわば不運と云いたくなるものである。それがなければ、まだまだその人は生きていられた、残された人はその死を悔やむと同時にありえた未来の生の可能性に想いを馳せ、悲しみはより一層大きくなります。ありえた未来の時間が長ければ長いほど。子供の死は、老人の死より悲しみを激しく引き起こします。子供には溢れる未来があったのだから。

ライオンの死は落雷という天災によるものである。自然の摂理であり、寿命に近いとも云えそうだが、やはり不運だ。そう何度も起こるものではないし、普段は安全に渡ることができた釣り橋だったのだ。イレギュラーな要因による死は不運です。

涙の理由
ライオンは、琥珀をくわえてタンポポに愛を表現しようとした直前に雷を落とし、それを阻んだ天を呪うでもなく、サバンナから自分を追いやった動物達を憎むのでもなく、不運を甘受する強さ、そしてその不運の真っ只中でもタンポポを力いっぱい気遣う優しさがありました(「濡れた頬の冷たさなど 生涯、お前は知らなくていい」)。

ライオンは、自分がタンポポから愛されてないようにも感じた(「お前のような姿になれば 愛してもらえるかなぁ」)。でも「濡れた頬の冷たさなど 恐らくお前が奪ったんだ」とタンポポに感謝した。そもそもタンポポに琥珀をプレゼントしようと、つり橋を渡って命を落としたのだ。しかしタンポポを責める気持ちは微塵もない。たぶんライオンに言わせれば、そんなものありえない、ありうるはずもない。

そして命尽き果てる際

涙の理由を 知ってるか
俺にはわからないが
この心の 温かさが
そのまま答えでよさそうだ

とライオンは満ち足りた言葉を残して世を去ります。

このライオンの生き様が心を打ち涙が流れます。


涙の理由
このフラッシュでは、タンポポが擬人化され顔と共に描かれます。しかしタンポポに意志はない。タンポポは、ただただありのままに野に咲いていただけです。

お前は俺が怖くないのか
逃げないでいてくれるのか

とライオンが質した時、一陣の風が吹き抜けタンポポを揺らしただけでした。ライオンの死を追うかのようにタンポポは枯れ、綿帽子を散らしますが、しかしそれはタンポポがタンポポとしての生をただ全うしただけです。綿帽子が崖下へと着地したのもただ風がそのように吹いたからであり、種が芽吹き谷底で花開いたのも、そこに種と土と雨と太陽の光があっただけだ。

ライオンの一人相撲。

でもそこには喜びがあった。世界がそのまま存在することが喜びにつながっていた。谷底でタンポポが咲いている。ライオンはタンポポ自体に愛されたわけではない。風が綿帽子をそこに運んだだけだ。だけれどライオンは無条件に愛されていたのだ。誰に、と言われると言葉がつまるけどでもそうなのだ。

タンポポの笑顔はタンポポの笑顔でありかつタンポポを越えている。その超えた何かを、タンポポが枯れ綿帽子となり空に舞うシーンが表現している。それに触れた時に感じる喜びが涙となってつい流れるのです。


このフラッシュの言葉に尽くせない輝きの絶頂はタンポポの笑顔と綿帽子にあるじゃないかな、と思ってます。
17 : 12 : 17 | 読書感想文 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑

読書日記1

「エレGY」に引き続き読書感想文を書こうと思ってました。しかし書けない・・・。咀嚼しきれてないのか、言葉が熟す機が必要なのか。とりあえず「エレGY」の後、手につけた本のリストを作成。時間を持て余した時、この本らのことを思い出してください。


・「孤独の発明」ポール・オースター著 新潮文庫
難しい本です。初めて読んだのはもう数年前。きっかけはタイトルに魅かれた、そして当時の恋敵に薦められた、というまことに私にとって因縁めいた本ですね・・・。っと、妙な感慨にふけるのダメですね。ともかく難しい本。初読では「見えない人間の肖像」だけ読みきったのは覚えてる。孤独で空虚な父親像が描かれてる、凡庸な見解だけしか沸きませんでした、ハイ。なので「記憶の書」なんてもう読めない。何を主題としている、何を書きたいのかまったく掴めなかった。途中でさじを投げました。いや正確ではない。道半ばではなくもう通り過ぎただけでした。「記憶の書」をパラパラめくっただけで巻末に直行。そこにのってる、オースターに会った、ってよしもとばななの自慢話を軽く読み流してハイ終わり。

今回ふと思い立ってまた挑戦してみた。昔手に入れた本なので本棚から探すのに苦労した。で、また挫折・・・。「見えない人間の肖像」は再び読めた。というか、以前読んだ時はまったく読めてなかったことに少し気づいた。ちょびっと成長してた。「記憶の書」もアマゾンのレヴューや柴田元幸の解説を手がかりにおぼろげながらも輪郭だけはつかめたかもしれない。でも道半ば倒れた・・・。不十分な理解のままページをめくるのは苦痛です。

聖書や米欧文化の教養があればもっと面白く読めるだろうな、と思った。記憶の書は、語り手たるAの血肉となった様々な文化受容の記憶を描き出しているからです。そんな大層な教養わたくし持ち合わせてない。解説を読んでもなにがなにやら。これが読めない一因なのは確かだ。

「見えない人間の肖像」の原題は「Portrait of an Invisible Man」。柴田さんによるとH・G・ウェルズの「透明人間(原題 The Invisible Man)」とラルフ・エリソンの「見えない人間(原題 Invisible Man)」を踏まえてるらしい・・・。どっちも知らないし、へぇーそうなんだ、って薄いリアクションしかとれないのは歯がゆい。

「記憶の書」は生と記憶を扱っている、と云ったらいいでしょうか。記憶に包まれた生、あるいは記憶そのものが生を宿していると云えるのか。

解説によると「部屋」も重要らしい。そう、通常四方が壁で囲まれドアの開閉で出入りを行うあの密閉空間のこと。孤独と部屋と記憶。「その部屋は孤独の象徴ではない。それは孤独の実体そのものだ。」


そういえば自分の部屋に他人を入れたくない、といった感覚が漠然ながら昔からあった。なぜそう感じたのだろう。掃除などまったくもっていきとどいてない、みすぼらしい汚い部屋を他人に晒したくない。美観を気にした羞恥はもちろんあったでしょう。しかし、それとは別に孤独を、そして記憶を晒すのが恥ずかしかったのかもしれない、それらを否定されるのが怖かったのかもしれない。部屋に雑然と配置された一つ一つのものは、どんな些細なものさえ否応なくその部屋の主の歴史を映し出すでしょう。外部から侵入した眼差しは、部屋の主の孤独を目の当たりにするでしょう。部屋とは「孤独の実体そのもの」なのだから。否定されるのが怖かった。何が。記憶とは、孤独とは人を固く支えてるものだから、いやその人そのものだからかもしれない。だから人は来客がある際、前もって部屋の掃除するじゃないでしょうか。汚い部屋と思われたくない、と同時におのれの記憶や孤独を整った調度の中に隠すために。

ここまで記したことは、他人の部屋に足を踏み入れたくない、という感覚も説明してくれそうだ。とどのつまり知りたくないのだ、その人のことを。その人の記憶を、孤独を。なぜ。知ったとたんある種の責任が伴い、それを背負いたくないから(注1)。あるいは孤独を秘め隠し、意図的な装いをふんだんに感じさせる対外的な身振りを尊重したいから。全ての身振りがフリだとしても、それはそれでその人だし。私に対してそのような身振りを彼・彼女は選んだのだ。つまり私は部屋に踏み入れ、全てのフリをおじゃんにするようなことはしたくない。寝首をかくような卑怯な行いはしたくないのだ。

注1 このことはまた他人を部屋に入れたくない、というさっきの感覚も別の角度から説明してくれることに気がついた。優しい人は、相手にある種の重荷を背負わせたくないがために自分の部屋に客を招きたくないかもしれませんね。


・「Spica」泉和良著 講談社BOX
「エレGY」に続く、泉さんの第二弾。「エレGY」とは違う肌触りでした。何かまとまったものを書こうと頭を巡らすも、以下の二点が引っかかり頓挫。この作品は私の個人的な過去に密着しすぎていること、そして物語が一見平板なこと。

小説を読んでてはじめて声が聞こえてくるような体験をしたかもしれない、もちろん頭の中での出来事ですが。音読して単に自分の声が聞こえたってオチじゃないですよw。この小説の最後の場面、スピカが嗚咽の中でなんとかしぼりだそうとするたどたどしい言葉、それがまさに'女の子の声'そのものとなって心に響くのです。なんかどっかで聴いたような感覚がわくのです。この体験にはさすがに身震いしました・・・。たぶん、というより間違いなくそれは私の想像と記憶(と妄想)の産物なのでしょう。私固有の個人的な経験が絡まりあって、どうこの小説に向かっていいか、うまく距離が取れなくて言葉が混乱状態なのです。ただこれだけは云える。私の心を揺さぶったスピカの言葉へとつながる一連の流れを描き出したのは、泉さんの特筆すべき力量のなせる業だと思います。


もう一つのひっかかり。前記事で書いたように「エレGY」には泉のフリーウェアゲーム作家としての成長物語があった。しかしスピカにはそういった要素が深く描かれてるわけでもない。そして見知らぬ男女が出合ってじょじょに愛を深めていくようなボーイミーツガールもない。いったん別れた男女の未練がましいグダグダが平凡な日常とともに描かれただけとも云える小説です。主人公水井のスピカに対する感受性の変容など書かれてますが、それは静かな筆致の中に埋め込まれ目立たない。水井が思いつめて自殺しようとする一見劇的にみえるくだりも、私たちの想像力からすれば別段際立つ事件ともいえないでしょう。というか、失恋から自殺したい衝動なんて誰もが一度は経験するような「陳腐」なもの。つまり何がいいたいかと言うと、この小説には(わかりやすい)華がない。読者が語りやすい物語性が薄い。私にとっては、エレGYと比するならスピカなんて普通の女の子に見えちゃいますし。これらがまとまった文章を書きづらい要因の一つでした。


もし泉作品を未読な方に勧めるとしたら、私はまずは「エレGY」をおすすめします。語弊があるかもしれませんが小説然とした体裁の濃い「Spica」より、「エレGY」のほうが泉さん固有の勢いのある文体が味わえると思うからです。「エレGY」のほうがすべてにおいて迫力あるんですよね。だからといって「Spica」がダメというわけでは全然なくて、「Spica」には特有の味があってそれは識別しずらい部類に入るじゃないかな、と。「Spica」は時間をかけてじっくり味わうような作品かもしれません。


・蒼天航路 原案・李學仁(イ・ハギン)、漫画・王欣太(キング ゴンタ) 講談社漫画文庫全18巻

おおう、いまさら蒼天航路ですか、なんていやみ言わないでください。世間では「レッドクリフ」のバカ騒ぎがありましたよね。かく云う私も「レッドクリフ」見たいな、見ようかなとウズウズしてました。そして思い出したのが蒼天航路。「レッドクリフ」で触発された衝動を蒼天航路で発散しようと読み返してみたらもう大ハマリ。とうとう全巻買ってしまいました。うんでもって「レッドクリフ」はまだ見てないハメに。

蒼天航路は連載当時からその存在は知っていて、時々立ち読みしたりしてました。横山光輝三国志を昔愛読してたおかげで少々の三国志教養もあり興味本位に読んでましたが、主人公たるスーパー曹操や劉備を筆頭とした威勢のいい啖呵の数々、ゴージャスな戦闘シーンに目がつられるぐらいでそれほどハマった記憶はありませんでした。けど、今回じっくり全巻熟読してみて、たんに私がちゃんと読んでなかっただけだったんだ、と自分の浅はかさを思い知ります。

荀という人間と切り離せない儒教や漢という存在、関羽を筆頭とする侠といったものなど、今の今まで全然注目してませんでした。しかし儒教、漢、侠といった背景が蒼天航路を貫く縦糸の一つであったことに気付いて感慨ひとしおです。迫力のあるコマ割りに圧倒されちゃう一方で、綿密に積み上げられたものが全巻を通すと見えてくると云うのでしょうか。

まだ「レッドクリフ」で三国志に興味を持ったはいいが、蒼天航路はまだ未読の方がいましたら一度手に取ってみてはいかがでしょう。文句なく面白いですよ。どう面白いかなんて、どんなに言葉を費やしても徒労に終わる気がするので、直接読んだほうが早いです。欲を言えば、もう一方の三国志の雄たる横山光輝三国志も。三国志の基礎教養をわかりやすく知ることができるから。


一蒼天ファンの戯言

好きな人物 主要メンツは誰もが好きなんですがあえて挙げるとすれば軍師系になっちゃいますかね

荀 曹操と雪遊び、漢を想う心から涙
郭嘉 死に際、曹操との政談義
孔明 劉備と出合った当初と、劉備の蜀入り後の驚愕する変貌ぶり

曹操は、希望に満ち溢れた前途洋洋の若い時より晩年のほうが私は好み。

「地をゆく曹操のこわさは百日ほどで忘れ去られる
百年も経てば名さえきれいさっぱりなくなるだろう
清清するな」

とごちる曹操、これです。こんな言葉、曹操でなきゃ吐けない。輝かしい青年曹操は、劉備が評するがごとく苛烈すぎて、憧れる一方で生来軟弱なわたくしにはやっぱり怖さが先に立つというのでしょうか・・・。


蒼天に熱中するがあまり蒼天関連サイトを漁ってたのですが、一つ脱帽したサイトを見つけたのでご紹介。

蒼天考

連載考で繰り広げられる投稿者達の熱い議論がすごい!一つ一つの小さなコマ割りにさえ豊穣な意味が込められながら書かれてるなんて、この議論を読まなければ所詮にわかの私には全然わかりませんでしたし、その豊穣な意味を汲み取り壮大な話へとつなげていく投稿者達の知識と想像力に脱帽ですw。最後の最後、関羽と呉軍の激突を綿密に注釈するかのような議論は圧巻でした。


蛇足で連載当時から印象に残ってたセリフ

「夢はここまでだ」
陸遜が、関平に止めを刺す際に放ったものです。

多勢の呉軍相手に孤軍奮闘する関羽軍に感情移入する読者に唐突に冷や水を浴びせかけ、さらに蒼天航路という物語の終わりをも宣言するようなセリフで、なんとも強く印象に残ってました。「夢」ですよ「夢」。なんで「夢」と形容するのか、陸遜。それまでの流れからするとあまりに異様です。寒気すらします。死を覚悟した関羽の「幸福な夢を生きた」というセリフにつながり、私にとって蒼天航路を凝縮した一つの短い言葉です。


「自分が生きる力に一点の疑問も抱いたことがない」
石徳林が去り際の曹操に向かって云った言葉。

老子の教えにのっとって乞食同然の何も持たない生を送る石徳林、文武全ての分野に渡って頂点を走りつづけ、中華一の栄華を誇った曹操、あまりに対照的な二人ですが、両者「自分が生きる力に一点の疑問も抱いたことがない」という点では同じだと石徳林はいうのです。

昔も、そして今もこの境地に憧れてます。だから心に響いた言葉です。

二人に限らず、蒼点航路で暴れまくる人物はおしなべてこの境地にある男達です。暴力と性に満ち満ちて、凄惨で卑猥な描写で彩られる蒼点航路ですが、そこから発せられる清々しさ、それはここに理由があると思うのです。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

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