FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-- : -- : -- | スポンサー広告 | page top↑

風の歌を聴け 村上春樹著

読書感想文。

風の歌を聴け 村上春樹著 講談社文庫

いわずとしれた村上春樹さんの処女作。

手元にブックオフの100円シールが貼られたこの本がある。たぶん、小説というジャンルの中で再読の頻度が一番高い本になる。それほど折に触れて何度も何度も読み返してきた本だ。心が真空状態になると、つい手が伸びてしまうんだ。読みたくなるんだ。そのような本はこれ以外にない。

ただ読み返す部分はほとんど有名な書き出しではじまる第一章だけという偏食ぶり。ついで第一章以外だとデレク・ハートフィールドについて書かれた部分くらいか。

第二章以降の話はどうでもいいというのは言いすぎだけど、何度も読めるものじゃない。退屈さだけが支配する箇所はいくらでもある。僕はバーでタバコとビール片手に時をつぶすようなシャレた若者ではまったくなかったし、作中で表現される女性に対する感受性もあまり理解できないし、好きでもない。1970年という作中の時代も遠い国のお話のようにしか感じられない。第二章以降で繰り広げられる「僕」と鼠のやりとりは異世界の出来事といったらいいのだろうか。異国のお話を好奇心で読むようにページをめくっていけるけど、書かれている内容に親近感はあまり感じられない。だから第一章とそれ以降では別の本という気さえするのだ。

それほど第一章だけが何度読んでも飽きない。こんなに飽きない文章は今の所ほかにない。

さらに言えば村上春樹さんの小説群の中でも僕が気に入ったのは「風の歌を聴け」の第一章だけ、ということになる。村上春樹さんの小説は他にも多数読んだことがあるけど、「風の歌を聴け」の第一章に感じたようなスペシャル感はなかった。


「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」

グーグルでネットサーフィンしていると、「完璧な○○」のところには何を入れてもいいので結局無内容な言葉だと、辛辣に評する人がいたけど、やっぱりここは「文章」と「絶望」でなければいけないと思う。第一章は書くことと、その困難さをめぐって、それだけが書かれているからだ。

でもよくよく考えてみれば、「完璧な文章」という言葉はよくわからない。「文章」がまず抽象的な響きをもち、さらにそこに「完璧」が加わって複雑さが増す。文法的に瑕疵のまったくない文章が「完璧な文章」というわけではないだろう。文法的に全く正しい文章は存在するからだ。存在しないからなんでも詰め込むことのできるマジックワードとして機能しているのかもしれなくて、だから人それぞれ自分の思うことを勝手に詰め込めばいいのかもしれないけど、僕は「完璧な文章」をわかっている気になっている。それが存在しない、という一点は。「完璧な絶望」もそれが存在しない、という一点はわかっている気になっている。ほかにわかっていることに何があるだろう。

気になった箇所を取り上げながら進めていく。

「象」と「象使い」。「象」が書けても、「象使い」は書けないから、「絶望的な気分に襲われる」という。なんで「象使い」のことまで書きたい、いや書くべきだと思っているのか。この比喩は僕たちの生の限定生を意味しているだと思った。そして生が限定されているから、「書くことのできる領域」が限られていて、「完璧な文章」は存在しない。

たとえばタイ人に生まれていたら「象使い」について書けたかもしれない。でもタイ人と日本人では、手にする言葉、書ける領域はまた違ってくるだろう。日本人には書けても、タイ人には書けないものがきっとある。日本人とタイ人の対比を、個々人にまで広げれば、書けるものと書けないものの種類は無数に存在することになる。一個人が書けることと比べれば、書けないものなんてそれこそ途方もない数で、「完璧な文章」とは夢想なのだ。

書く、ということはつまり己の生を限定することで、それは「完璧な文章」という点からすればまず諦念を意味する。「僕」は20代の「8年間」を沈黙していた。沈黙とは己の生を限定しない生き方で、「完璧な文章」を追い求める姿でもある。でも20代の最後、「今、僕は語ろうと思う」と意を決する。「完璧な文章」を放棄する。「完璧な文章」なんて存在しないことが長い年月をかけてやっとわかったのだから。つまり己の生がどうあがいても限定されていることをようやく知り、受け入れ、そして「完璧な絶望」もまた存在しないのだから書く。


話は脱線するけど、僕が就職活動をしてた若かりし頃、その気になればなんにでもなれる、と思い上がってた。だからといっていいか、就職活動は難航した。あれも、これも、と目移りして就職先が決めきれないのだ。そして、それは自分の生を限定したくない、という欲望の裏返しでもあった。なんにでもなれるのに、なぜ一つに限定しなければいけない。サラリーマンとして一つの会社に一生を費やす、そう考えると気が遠く重たくなった。現実的には転職しようと思えばできるけど、新卒の時は考えが及ばなかった。まさに身も心も会社に捧げる気でいた。

小学→中学→高校→大学と進学する中で、生の限定性はそれほど意識されなかった。みんなと歩みを揃えて生きている気がしたからだ。でもいざ就職という段になって、極度に自分の生を切り詰めざるえない局面を迎える。あいつはあの会社に就職する、あの子はあそこの会社、じゃあ僕は?僕はどうすればいい?子供のように駄々をこね、生を限定するぐらいなら就職なんてしたくない、と思った。就職したら人生終わる気さえした。とはいえ、僕は現在就職して、一日の大半を会社に費やしている。僕の生は限定されている。でも、だからって人生終わった、と思うことはなかった。まさに「完璧な文章」は存在しないけど、「完璧な絶望」もまた存在しなかったのだ。生は限定され、ありえた生の喪失感に苛まれながらも今、こうやって僕は生きているし、限定された生であってもそれを生きようとわずかづつであれ思えるようになってきた。そして「完璧な文章」が存在しないと思えるようになったから、ブログでこうやって書けるようになったのかもしれない。


話を元に戻す。しかし、なぜ書くのか。「完璧な文章」は存在しないのに、なぜそれでも書くのか。「自己療養」とあるが、なぜ療養しなければならないほど傷ついているのか。

こう考えてみる。

「完璧な文章」という観念の中に囚われ、没入し、溶けてしまった僕は傷ついてる。書くことは、「完璧な文章」という夢想へ溶解し、霧散した僕をもう一度創り直す試みなんじゃなかろうか。書くことは諦念であるとともに、内臓に魂こめてタフに愚直に生きることなのだ。

完璧な人生なんて存在しないにもかかわらず、中途半端で不完全にしか生きることができなくても、それでも生きようとすることが書くことへつながる。

ようは誰でも、もとから大小さまざまな傷を持っている、誰であれ大なり小なり中途半端で不完全だから。そしてある人には療養の試みの一つとして書く行為があった。


書くことを決めた「僕」が守ることは、正直に書くことだ。

「しかし、正直に語ることはひどくむずかしい。僕が正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈みこんでいく。」

と、「僕」は書き記す。唯一正直に書くことだけが、「完璧な文章」に埋没した僕を引き上げる手立て、僕の生を取り戻す手立てであったが、「正直に語ることはひどくむずかしい」。

そこでよりどころとなるのが「ものさし」だ。

「文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ」

引用文の次のくだりで、ものさしではかることをおぼえた「僕」は、いろんなものを投げ捨てる。これは「感性」を捨てることだと思った。「感性」はたんに偶然の体験がのべつまくなしに累積されてできたあがったものにすぎず、「僕」の正直さがそこに貫徹されているわけではない。むしろいろんなものが浸透しながら積み上がってできた「感性」は、僕の正直さの発露を阻害する。だから捨てる、「僕」の正直さにそぐわないものはすべて捨てる。「感性」を取り去った後に、ものさしで「自分と自分をとりまく事物との距離」を正直な心だけをたよりに確認し、書く。たんなる「リスト」しかできあがらないとしても、それが正直さにこだわった書く行為で、「自己療養へのささやかな試み」なのだ。



「風の歌を聴け」の第一章になぜ僕は虜になるのか。無限定な生と限定された生の狭間で、書くことをめぐって紡ぎだされた明確な言葉がそこにあるから、と答える。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

21 : 44 : 37 | 読書感想文 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<ブログ紹介 | ホーム | 胸のモヤモヤ>>
コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://suavis.blog88.fc2.com/tb.php/168-7f61c310
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |

プロフィール

suavis

Author:suavis
東京都在中。読書感想文をメインに据えてますが、ぶっちゃけなんでも書いちゃいます。はじめて訪れた方は「はじめに」を絶対お読みくださいませ。リンクはフリー、コメントは超大歓迎。ブックマークに入れる推奨。

最近の記事

月別アーカイブ

過去ログ

カテゴリー

カレンダー

11 | 2018/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のコメント

最近のトラックバック

FC2カウンター

このページ内における「ラグナロクオンライン」から転載された全てのコンテンツの著作権につきましては、運営元であるガンホー・オンライン・エンターテイメント株式会社と開発元である株式会社グラヴィティ並びに原作者であるリー・ミョンジン氏に帰属します。 (c)2007 Gravity Corp. & Lee Myoungjin(studio DTDS). All Rights Reserved. (c)2007 GungHo Online Entertainment, Inc. All Rights Reserved. なお、当ページに掲載しているコンテンツの再利用(再転載・配布など)は、禁止しています。

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。